京都市伏見区は観光地としても大人気ですが、酒蔵が建ち並ぶ景観整備地区ともなっています。坂本龍馬ゆかりの「寺田屋」をはじめ、数多くの名所・史跡のある観光地としてとても人気のある場所です。
京都市伏見区は名水でも有名!酒好きやコーヒー好きが楽しめるところが多い!
「伏見夢百衆」というお店があり、もと月桂冠の本社として使用されていた素敵な大正建築のお店なんですよ。
店内では、伏見のお酒のきき酒セットの他に、日本酒スイーツや名水を使用したコーヒーや紅茶も楽しめるので、お酒が飲めへんという人にもおすすめです。
おみやげ処
伏見夢百衆には、おみやげ処と喫茶が併設してるので、伏見散策の休憩にもぴったり。一緒におみやげ探してみやはったらどうですか?
伏見の清酒約100種をはじめ、様々な伏見名物を販売したはります。伏見エリアには、23の蔵元が存在していて、その伏見のお酒が揃ってるとか。女性が喜びそうな小物類もあります。
伏見夢百衆のお店情報
住所:京都市伏見区南浜町247
電話番号:075-623-1360
営業時間:
[月~金] 10:30〜17:00 LO16:30
[土・日・祝] 10:30〜18:00 LO17:30
定休日:月曜日
交通アクセス | (1)京阪本線中書島駅から徒歩で5分 (2)近鉄京都線桃山御陵前駅から徒歩で10分 |
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京都市伏見区は名水でも有名!鳥せい本店から湧き出る名水「白菊水(しらぎくすい)」
伏見区桃山にある、老舗酒蔵直営の人気鳥料理専門店「鳥せい本店」には、湧き出てる名水があって、自由に汲めますのでいっつも長い行列ができています。
鳥せいさんは、蔵元「神聖」の大正時代の酒蔵を一部改装して建てられたお店で、本格鳥料理をはじめ清酒神聖を味わうことができます。
お料理も焼き鳥など多種多様、評判が良うてお値段もリーズナブルなのでいつも観光客さんで賑わっています。
名水白菊水(しらぎくすい)は、鳥せいさんのお店の敷地内にあって、伏見七名水のひとつで湧き出ています。私も何回かペットボトル持参で汲みに行ったことがありますけど、いつも行列で並んでいました。
こちらの名水「白菊水」は、清酒神聖さんの仕込み水としても使用されているそうです。また「白菊水」は、全国名水百選に選ばれた、御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)の「御香水」の水脈と同じです。
鳥せいさん アクセス
店名 | 鳥せい 本店 |
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住所 | 京都府京都市伏見区上油掛町186 |
アクセス | > Googlemap |
交通手段 | 京阪「伏見桃山」駅下車 徒歩約7分 近鉄「桃山御陵前」駅下車 徒歩約9分 伏見桃山駅から275m |
営業時間 | 11:00~23:00(LO22:30)/日曜営業 |
定休日 | 月曜日(祝日の月曜、及び12月の第3、第4月曜は営業)/ |
京都市伏見区は名水でも有名!御香宮神社の名水「御香水(ごこうすい)」
御香宮神社の名水「御香水(ごこうすい)」
御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)には名水『御香水』があることで有名。地元ではこの水を汲みに来る人が多いです。「貞観4(862)年に、境内より良い香りの水が湧き出し、その水を飲むと病が治った」と言い伝えられています。
御香水は桃山の伏流水で、伏水・伏見(ふしみ)の地名の起こりとされていて、現在でも霊水として、病気平癒、茶道・書道、生活用水として持ち帰られています。
昭和60(1985)年には、環境庁(現在の環境省)「名水百選」に認定されました。
子育て・安産にご利益がある神社
地元の人たちからは、「ごこんさん」と呼ばれて親しまれている御香宮神社は、お宮参りや安産祈願のご利益を授かりたいという人がぎょうさん来はります。
私も長女の安産祈願とお宮参りを、御香宮神社でお世話になりました。
伏見城大手門を移築した表門などが有名ですけど、桜の季節には、末社前の垂れ桜は、濃いピンクの花から淡いピンクの花まであって、まるで桜のシャワーのようでめっちゃきれいです!
アクセス
京阪電車…伏見桃山駅下車
近鉄京都線…桃山御陵前下車
JR奈良線…桃山駅下車
※いずれも徒歩5分以内
拝観料…無料(石庭見学は200円)
参拝時間…境内自由(社務所受付9:00~16:00)
お問い合せ…075-611-0559
伏見桃山城と豊臣秀吉
豊臣秀吉が天下統一を果たしたあとに、隠居城として建てられたのが「伏見桃山城」。
伏見桃山城キャッスルランドという遊園地があったんですが、遊園地は平成15年に閉園されて、現在は「伏見桃山城運動公園」になっています。
豊臣秀吉が築いた「伏見城」の歴史
当初は文禄元年(1592)に伏見指月(現在の京都市伏見区桃山町泰長老あたり)に建設されますが、完成直後に慶長伏見地震によって倒壊しました。
そのため、指月から北東に約1kmほど離れた木幡山に城が再建されることになり、慶長2年(1597)に城は完成しますが、秀吉はその1年後の慶長3年(1598)に城内で亡くなってしまいます。
秀吉の遺言で、豊臣秀頼は大坂城に移り、伏見城へは五大老筆頭の徳川家康が入り政務を行います。関ヶ原の戦いの際には、家康の家臣鳥居元忠らが伏見城を守りますが、西軍の攻撃により落城。建物の大半が焼失しました。
その後、伏見城は慶長7年(1602)ごろ家康によって再建され、慶長8年(1603)には、伏見城で徳川家康が征夷大将軍の宣下を受けます。以後三代徳川家光まで伏見城で将軍宣下式が行われました。
伏見城の跡には、江戸時代に桃の木が植えられて「桃山」と呼ばれるようになります。そのため伏見城は「桃山城」あるいは「伏見桃山城」とも呼ばれるようになりました。
「伏見桃山城キャッスルランド」
現在ある伏見桃山城の天守閣は、昭和39年(1964)に伏見城花畑跡にオープンした遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」の、シンボルとして建設された鉄筋コンクリート製の模擬天守閣です。
子どもの頃、親や友達と遊びに行った「伏見桃山城キャッスルランド」は無くなってしまいました。当初は取り壊される予定やった天守閣は、地元の人らの要望もあって市へ寄贈されたそうですが、耐震基準を満たすためには多額の費用がかかるいうことから、現在は中に入ることはできません。内部非公開になっています。
最後までお読み下さってありがとうございました。