京都人はイケズで腹黒い?今どきぶぶ漬けどうどす?とか言いません

 

佐賀県(主人の出身地)に来た頃は、こっちの言葉(九州弁)は全くわからへんし、ほぼ初対面の人から「京都の人はイケズで腹黒いんでしょ?」と言われるわで、内心えらいとこ来てしもたと思いました。

 

京都人はイケズで腹黒い?今どきぶぶ漬けとは言いませんよ!

 

「ぶぶ漬け」はお漬けもんとちゃいますよ

呆れるほど言われたのが、「ぶぶ漬け」の事。「ぶぶ漬け出されたら帰れという意味やろ?」って。なんや話が変な方向にひとり歩きしてる感じでした。

 

だいたい、ぶぶ漬けの意味も知らんで言う人が多かったので、ほんまビックリです。今でもたま~に言われます。困ったもんです。 TVの影響かなー?苦笑

 

「ぶぶ漬けてなにか知ったはりますか?」て聞くとたいがい返ってくるのは「お漬けもののことでしょ?」(はぁ?)「ぶぶ漬けはお漬けもんとちゃいますけど、お茶漬けのことですよ」というと、「えっ?お茶漬けのこと?」とたいがいびっくりしはります。

 

「ぶぶ漬けどうどす?」ていうのがあったとしたら、ずーっと昔のことやないですか? 私らそんなん言いませんし、生まれてこの方言われたこともないです。

 

 

ご近所同士でも家の中に上がる事はまずありません。玄関先で用事は済ませます。よっぽど仲のいい友達(ママ友とか)で、招かれたらお邪魔したりしますけど、そういう時は手ぶらで訪ねたりしませんしお昼時は避けます。

 

ぶぶ漬けでもどうどす?の意味は諸説ありますが、上方落語のネタ『京の茶漬け』や、江戸時代の小咄(こばなし)にも出てくることから、このエピソードのお陰で京都人は皮肉でいけずと思われているところがあるようです。

 

・「ぶぶ漬け」は上方落語の一演目のネタであること

・ネタは「早く帰ってほしいから、あえてもてなす」ことを逆手に取ったネタ

・「早く帰ってほしい=ぶぶ漬けを出す」という習慣は京都にない

(「早く帰れ=もてなしを無理して用意するのを遠回しに伝える」ならあるかも)

・現在の京都でお茶漬けを「ぶぶ漬け」と呼ぶ人間はほぼいない(1万人に1人いる?)

■教えて! 京都人に「ぶぶ漬け」を出された人はどれだけ実在する?

 

 

京都人はイケズで腹黒い?本音と建前が違うんでしょ?

 

京都人はイケズで腹黒いんでしょ?本音と建前が違うしウラオモテがあるって?」京都出身と言うとたいがいこんな風に言われました。(どっちがイケズやねん)

 

当初は正直言うてこっち(唐津)の人って、遠慮なしにズケズケもの言うてくる失礼な人が多いと思いました。

 

「京都人は本音と建前が違う」とか言われても、本音と建前が違う?なんで?普通やろーて思いますし、オタクラみたく本音でズケズケもの言うてたら喧嘩になるやろ?と思います。

 

京都人はイケズで腹黒いし、回りくどい言い方をするとかいろいろ言われますが、言わなあかんことはちゃんと言いますよ。(てか、回りくどい言い方てどんな言い方?)

 

京都人は、なるべく角が立たんような言い方をするから、なんや辛気臭いわと思われるんかも知れませんね。(私は性格上、はっきり言う方やけど…)

 

京都人やからってそんな人ばっかりやないし、ここぞと言う時は言います。それに言い方云々(方言)は京都人に限らへんやないですか?

 

ここだけの話ですけど、夫の実家があるところは田舎です(私らは親と別居です)こっちでは、お嫁さん同士が集まって、お姑さんの悪口言わはるし、お姑さん同士で集まって、お嫁さんの悪口言うたはるのを聞いたことがあります。

 

お姑さんと同居したはる人が多いので、(お互い)ストレス溜まるんやろねぇ。嫁姑問題は、永遠のテーマなんて言いませんか?まぁそんなんもありますけど、京都とぜんぜん違って見えました。(京都と九州違って当たりまえか..汗)

 

お姑さん同士、お嫁さん同士で、お腹に溜まってること言うて、ストレス発散できて、また仲良う暮らしていけるなら、それはそれでアリなんとちゃいますか?

 

京都人はイケズで腹黒い?京都のバスの運転手も不親切?

 

京都はタクシーや市バスの台数が多いです。京都のバスの運転手って、お客さんがバスに乗るために走っているのが見えているのに、待ってあげずに発車する事が多いですよね?不親切ですよね?と聞かれたことがあります。

 

それって京都に限らずではないでしょうか?発車時刻になればバスは発車するのは当たり前です。信号待ちや渋滞などで動けない状態ならともかく、そうでなければ京都以外でも待ってくれたりしませんよね。

 

観光シーズンともなれば特に、京都は渋滞しやすく遅れがちなのに、そのうえ待っていたら余計に遅れて支障をきたす。他のお客さんにも迷惑です。

 

余程田舎のローカルなバスなら待ってくれるかもですが、京都では無理ですね。たとえバス停で乗客が待っていたとしても、バス車中が満員ならそのバスはバス停で停まりません。素通りです。いや停まれないでしょう?満員なんだから乗れないですよね。

 

京都民は理解できますよ。けど他所から来た観光客さんはわかりませんから、あのバスの運転手は不親切だ、となるでしょうね。

 

京都の実家へ帰ったとき、よく巡回バスを利用しますが、降りるときは「ありがとうございました」と言って降ります。巡回バスに限らず「ありがとうございました」と言って降ります。

 

無事目的地まで送り届けてくれたことへの感謝の気持ちです。私の妹や姪っ子も言いますね。愛想の悪い運転手さんだったとしても、ちゃんと返してくれますよ。

 

まとめ

 

京都の中で、洛中・洛外の差別化と言うのは、まだ残ってるところもあります。わたしは伏見出身ですが、京都民としての誇り(プライド)をもっています。

 

京都人はイケズで腹黒いとか、本音と建前が違うとか言われますが、千二百年の歴史を誇る京都は、昔からのしきたりや言い伝えを重んじます。

 

京都人は長い歴史において幾度も権力者が交代する中で、角は立てないけど、本音もチラリと見せる京都独自の会話術を培ってきました。「京ことば」には京都人の「本音と建前」を使い分ける暮らしの知恵が息づいてるんです。

 

「ぶぶ漬けでもどうどす?」は、誤解が誤解を生んで、いつの間にか、京都人のいけずなところや言葉とは裏腹の二面性を言い表す代名詞のようになってしまっています。

 

でも誤解しないでください。京都の人は本当にお客さんを招くとき、こまやかな心遣いで行き届いたおもてなしをしますから。

 

京都は閉鎖的で封建的なところがまだありますが、昔ほどではないとも思います。他県から移住してくる人を受け入れたり、その地域に馴染めるようにと、いろいろ活動している人も居られますから。

 

最後までお読み下さってありがとうございました。