京ことばの裏と表ってなに?京都弁の”おおきに”の本当の意味とは?

 

「京ことばには裏と表(本音と建前)がある」と感じられるのは、長い歴史において幾度も権力者が交代する中で、角は立てないけど、本音もチラリと見せる京都独自の会話術を培ってきたから。京ことばには、京都人の「本音と建前」を使い分ける暮らしの知恵が今も息づいているんです。

舞妓さんが話す言葉を京都弁と思われている?

 

他県の人は、京ことばと言えば舞妓さんのことばを想像されるようですが、私ら京都民は使いません。舞妓さんのことばはいわゆる特殊ことばというものなんです。

 

舞妓さんはデビュー前の1年間は見習い修行(下働き)があります。同じ部屋のお姉さん舞妓のお世話や、踊りはもちろんお行儀作法、舞妓ことばの「~どすえ~」を習います。

 

今は京都出身の舞妓さんは少ないと聞きますので、他県から来られて舞妓さんになりたいという人は、京ことば+舞妓さんことばを覚えることになるというわけです。(大変です)

 

若い世代はもちろん、50代世代も舞妓さんが使う特殊ことばで話したりはしないですね。ちなみに私の母は84歳ですが、ときどき「そうどすか~」とか言うてるのを聞きますけど、いつもではありません。

 

京都弁はお隣の大阪弁とはまた違います。京都弁(京ことば)は京都人同士にしか通じひんとも思うんですね。仮に京都の言葉は理解できても、その言葉の奥に隠れている感覚というものはわからへんと思います。(私が九州弁の感覚がわからへんように)

 

京ことばの”おおきに”の 本当の意味って?

 

京ことばの「おおきに」は、「ありがとう」の意味だけではありません。例えば「ごはんでもどうや?」と誘われたとします。

 

お誘いをお断りする時にも「おおきに~、けど今日はやめときます。」という使い方をします。他県の人はおおきにと言われて次の言葉は「ハイ行きます。」を期待されるらしく、「断るのにおおきには変やろ…」と言う人も居られました。(これって変なんですかね?)

 

 

京ことばの 「おおきに」 「ありがとうございます」 に値する丁寧語でもあります。決して下品な言葉ではありませんし、ふざけて使っているわけではありません。

 

長い歴史において培った京都人の知恵「本音と建前」

 

長い歴史において幾度も権力者が交代する中で、角は立てないけど、本音もチラリと見せる京都独自の文化。京都人の「本音と建前」を使い分ける暮らしの知恵です。

 

京都で生まれ育った私には本音と建前が違って当たり前のことで、本音をぶつけたら喧嘩になります!と思っています。ですが他県では”変”って思われてたんですね。

 

京都弁は大阪弁とともに上方言葉として知られている、京都人が使う方言です。京都弁のことを京都の人は「京ことば」と言う人が多いですが、これは「京都弁」という言葉に何となく地方色が色濃く感じられイヤだから。

 

京都は1000年もの間、日本の中心として栄えた都だったので、(私も含めて)京都の人は京都を地方だとは思っていないんですね。

 

京ことばには「御所ことば」と「町方ことば」がある?

「京ことば」には公家の間で使われていた「御所ことば」と、街で庶民が使う「町方ことば」のふたつの言葉が1200年もの長い年月の中で混ざり合いながら、少しづつ変化しながら今に伝わったもの。

現在使われている「京ことば」は、幕末から明治にかけて広まったものだと言われています。

 

「京ことば」の特徴は、母音を伸ばすように話します。

例えば、「手」のことは「て」ではなく「てぇー」と言います。「目」は「めぇー」といったようにパッと言い切らずに、伸ばすような言い方をします。これがおっとりした感じにも伝わるようです。

 

また、「はる」を使うという特徴と「お」「さん」を名詞の前後につける言い方をします。例えば、「お月さん」、「お寺さん」、「お芋さん」、「お揚げさん」などです。

 

これらは「御所ことば」の名残りで、ちなみに外来語には「お」と「さん」はつけませんので「おパスタさん」とは言いません。

 

人以外に対しても尊敬語の「はる」を使います。例えば、「犬が昼寝してはる」や「この人形、笑ろてはる」など。

他には「言うたはる」「言わはった」「来はった」「行かはった」など。

 

これって持って回った言い方?

他人の意見に対して反対する場合、「それは違う」とは言いません。「それは違うのとちがいますやろか」という言い方をしたりします。こういう言い方をするせいか「京都の人は言いたいことも言わへん」と思われているようですが、言いたいことは言ってます。ちゃんと言葉にして言わなわかりませんので。

 

まとめ

 

「京ことば」は相手を気づかった優しい言葉やと私はそう思います。同じ言葉でもイントネーションで使い分けたりもしますけど。

 

例えば、優しいイントネーションで「エラいお人やねえ」と言うた時は言葉どおり「偉い人ですね」ということで褒め言葉になりますが、キツいイントネーションで「エラいお人やなあ」と言うときは、それは皮肉で言うたりします。

 

あ、このイントネーションを変えて言うことが、京ことばには裏と表があるということなんでしょうか?知らんけど…

 

京都へおこしの際は、京都の人の話す「京ことば」にちょっと耳を傾けてみると、また違った京都が味わえるかも知れませんえ。

 

最後までお読み下さってありがとうございました。