京都・伏見はこんなとこ!生まれ育った伏見がやっぱり好き!

 

私が生まれ育った京都・伏見(ふしみ)というとこは、京都市の南部に位置しています。北は京阪電車鳥羽街道駅付近で、東は稲荷山を経て醍醐辺りまで。南は宇治川を越えて向島までで、西は淀付近までの広範囲に及びます。

 

昭和初期の頃、伏見は京都市から独立して「伏見市」と市制を名乗ってた事がありますが、僅か2年後に、京都市から戻ってきて欲しいとの依頼を受けて、またもや伏見区となりました。

 

 

・1929年(昭和4年)5月1日 – 伏見町が市制施行して伏見市となる。

・1931年(昭和6年)4月1日 – 京都市に編入。伏見区の一部となる。同日伏見市廃止。「伏見市」が存在した日数は700日で、改称されたことにより消滅した市を除けば、日本の「市」の中で最も短い存続期間であった。

ウィキペディア

 

伏見は、京都の中に存在する独特の文化圏があって、京都市(所謂洛中)の人たちとはべっこのプライドを持った地域やて思います。

 

 

京都・伏見はこんなとこ!生まれ育った伏見がやっぱり好き!

 

豊臣秀吉が作った首都「伏見」。伏見の語源は、湧き水が豊富であることを現す「伏し水」が変化したものだと言われています。

 

京の都に程近く、水運の拠点で太閤堤と呼ばれる堤を築いて宇治川の流れを変更し、伏見城下に船を集められるようにしました。

 

さらに橋の架け替えを行って場所を変更し、伏見街道を城下に引き込みました。これによって、陸路で京の都に直結し、河川で大坂に直結できるように伏見を改造しました。

 

伏見には伏見港と呼ばれる港が作られ、豊臣秀吉の治世から昭和25年頃まで京都-大坂間の物流の拠点となり、重要な参勤交代ルートでもあったそうです。

 

 

豊後(ぶんご)橋

 

秀吉の「豊後橋」を再建し、「観月橋」が誕生

 

桃山時代に、豊臣秀吉が豊後大友氏に命じ伏見から向島の間に長さ200メートルの橋を架け、豊後(ぶんご)橋と呼ばれるようになり、江戸時代を通して18回の架け替えや修復の工事が行われました。

 

鳥羽・伏見の戦いで豊後橋が焼け落ちてしまいました。川の流れが速いため復旧に難儀してその間は渡し船が就航したそうです。

 

 

明治6年に橋が再建されて(橋脚の柱や高欄が鉄製になる)、月を観るのに好適の場所にあるということから、「観月橋」と呼ばれるようになりました。

昭和11年、下流に10mほど移動し、鉄筋コンクリート製の観月橋が新築されます。

 

 

観月橋

 

「伏見 観月橋」の画像検索結果

 

そして昭和50年、慢性的な交通渋滞解消策として、今までの観月橋の上に京阪電車をまたいで新観月橋が竣工(しゅんこう)しました。さらに、東側の歩道に自転車道が出来るなどして、広くなりました。

 

観月橋はよく利用しました。高校へは、向島から観月橋を渡って、京阪電車「観月橋駅」から、電車で通学してたんですけど、毎朝通勤通学ラッシュでもみくちゃでした。(笑)

 

 

生まれ育った京都・伏見を離れて30年余り、現在は佐賀県唐津市というところで暮らしています。唐津市は唐津焼や唐津市呼子のイカ刺しなどで有名なとこです。唐津城というお城もあります。

 

唐津市は佐賀県ですけど、佐賀市内へ行くより福岡市内へ行く方が近いです。唐津の人たちは福岡が好きみたいで、佐賀市内へ行くより福岡市内へ行く人が多いように思います。

 

 

マリンワールド海の中道(イルカショー)

「福岡動植物園や海の中道マリンワールド」の画像検索結果

 

私も福岡の方が馴染めました。京都へ帰る時は博多から新幹線利用ですので、尚更福岡の方が好きですね。福岡には、動物園やマリンワールド海の中道(水族館)など子供連れで遊べるところが充実してます。垢抜けててオシャレな街です。

 

 

今だから言える…

佐賀県に来た当初はほんま大変やった…。こっちの言葉は、何言うたはるんかさっぱり分からんし、佐賀弁と唐津弁、博多弁とか言葉が全然違う事も知らんかったし、一括りで九州弁て思てました。言葉は分からん、環境も全く違うしで、2~3年ホームシックにかかってしまい…

 

それでもこっちに馴染まなあかんて思て、まず京都弁を封印して唐津弁で話す努力をしました。子ども達が成人するまでは(関西弁なまりの変な)唐津弁で頑張りましたが、それ以上は無理でした。

 

人間関係もうまく行かんようになったりで、だんだん自分が何者んなんか分からんようになってきたんです。言葉ってほんま大事です!

ストレス溜まりまくって、心折れそうになって、京都の実家へ帰らせてもらいました…。

 

生まれ育った京都から出たことがなくて、かる~い気持ちで行ったこともない九州へ移住して、20年頑張りましたが、ギブアップして充電しに京都へ帰ることに。

 

京都に帰って、閉じこもってるのは嫌なのでアルバイトして、そこでいろいろ勉強させて貰いました。何より嬉しいんは友達ができました!!

 

家族や友達に助けてもらいながら、唐津でまた頑張ろうと思えるまで3年ほどかかりましたが、今はまた唐津で頑張れています。京都での3年間というのは、私にとって貴重な時間でした。

唐津弁??もう喋れません。バリバリ京都弁で喋りまくってますわ。楽チンです(笑)

 

京都・伏見はこんなエエとこ!生まれ育った伏見がやっぱり好き!です…

 

最後までお読み下さってありがとうございました。